原発を抱える地元住民の方々が複雑な思いを抱えていることは、直接的に原発にかかわりを持たない僕でもなんとか想像することはできます。事実として原発関連の産業や文化しか地域経済を支える基盤がないとすれば「生活のために早く再稼動してほしい」という声が上がる気持ちは分かります。
しかし、別の観点で見ると「危険を回避するための時間がない」のも事実なのです。福島第一原発の事故からも判るように「特に人間の手によって濃縮された放射性物質は、人類の手にも余る代物である」という事実があります。その理由は以下の点にあります。まず、基本的に核反応している放射性物質に直接、手で触れることはできません。また、一度反応を起こし始めた燃料棒を、仮に臨界(核分裂)を停止させたとしても、放射性崩壊によって起こる発熱を止められないのです。つまり「熱を出さなくするまで、ずっと水で冷却する必要がする」のです。その必要がなくなるまでに4-5年かかると言う説と、10年以上の時間がかかると言う説があります。
目に見えない放射能をどうやって管理するのですか? 「測定機器があるだろう」じゃ測定機器が狂ってしまったら? 直接、触れることができないにもかかわらず生命の存続に関わる遺伝情報を傷つけ得る「放射能」を甘く見てはいけません。
時々、生活していても普通に被爆しているんだから神経質になる必要はないと言う話を聞きますがとんでもない勘違いでしょう。普段から浴びている放射能に加えて、新たな被爆量が増えることのリスクは日本人の誰も経験したことがないのです。きっと、チェルノブイリの事故から学べることがたくさんあるはずです。
福島第一原発の事故処理は「10年以上の年月を必要とする」と思っていたほうが無難なのです。このことを原発を抱えている地域住民の皆さんには、よくよく考えていただきたい。
「万が一にも次の事故なんて起きないし、そのための安全対策をきちっと作れば原発は安全に運用し続けることができるよ」と思っていらっしゃるとすれば、それは幻覚妄想ですよ。確立としては低くても「ゼロにできないリスク」に莫大なコストを費やして発電する。それも未来の子供たちに放射性廃棄物という厄介な代物を大量に残すことになるのです。これから将来の人類は何十世代にも渡って放射性廃棄物をしっかりと管理する計画を立て実行・評価する必要があります。処理方法に苦慮するゴミを大量に出すのが、都市化という現代社会の特異な市民生活なのかもしれませんが、「非現実的な放射性廃棄物」をずっと管理し続けられるまで人類が進化しているとは僕には思えないのです。
世界中で民族間の争いは絶えないし、新たに核兵器や核開発に乗り出そうと言う途上国もいます。そこへ、アメリカと日本で共同開発して原子炉を売り込もうとしている動きも感じますし、そこには脱原発の世論に逆行する感があります。気をつけて政府の動きも見ていなくてはなりません。
まずは、核エネルギー以外の方法をしっかりと検討してほしい。現時点で一番コストの低い「天然ガスによる発電プラントの設立」と「燃料の確保」にための外交努力をしっかりすることの方がずっと現実的だと思いますし、地熱発電や波力発電、また燃料電池による発電プラントなど新しい取り組みにもっと力を入れるべきです。
「電気が足りない」「基盤産業がない」という政府や、電力会社の脅しに負けではいけません!! ここが踏ん張りどころなのです。
「二度と日本国内の原発は再稼動させない、そのまま全廃炉に向けて即活動を始めていただく」ことが賢明です。中途半端に原発に依存していても「放射能汚染のリスク」は日々高まっていくだけです。
もう一度いいます。「危険を回避するための時間がない」これが僕の率直な思いです。